プロダクトマネージャー(PM)丹野さんのキャリアインタビュー

現在(2018/02/17時点)は株式会社ビズリーチで働きながら、PMを支援したり、広める活動をされている丹野瑞紀さん。PMという天職に出会う現在に至るまでには研究職やダンスのインストラクターなどさまざまな経験をされています。丹野さんはどのように仕事を変えていったのか、またPMとして働く原点がどこからスタートして今に至るのか。発信することで機会をつくっていった丹野さんの現在までの軌跡を一緒に見ていけたらと思います。

今回のキャリアインタビューは「プロダクトマネージャー(PM)の丹野さん」です。
※本記事は
プロダクトオーナー祭り2018 ~世界を創るのは俺たちだ!~ 2018/02/17(土)
のひとつのセッション内で行われたインタビュー内容を成形し、まとめたものとなります。イベントページはこちら。

プロダクトマネージャー(PM)とは?
サービス全般に対しての企画責任者。サービスのユーザーニーズ把握やサービス設計やデザイナ・プログラマとのやりとり、マーケティングの部分など関わるサービスや会社によって行う仕事は異なるが、サービスに必要な核の部分を中心に、必要なことを行う職業・役割。

<丹野瑞紀さんのプロフィール>
早稲田大学卒業し、NTTで研究職に。その後ダンスインストラクターを経て、バーチャレクス・コンサルティング株式会社(コールセンターやシステム構築などを扱うベンチャー)に。その後にサイボウズ株式会社(グループウェアを開発するソフトウェア企業)に8年間勤務後、約4年前に株式会社ビズリーチ※に転職し、現在(2018/02/17時点)に至る。 ※株式会社ビズリーチについておよびサービス紹介 http://www.bizreach.co.jp

◇丹野さんの人生グラフ

<記事一覧>
インタビューのポイントと編集後記

1)「発信する」楽しさが作った転職をきっかけ

ブログの発信がいろんな形で人とつながり、転職につながったエピソードや、自分がプロダクトマネージャと知ったときのお話など聞いています。

2)「計画的に目指した研究職」からの「プロダクトを作る楽しさ」を知った原体験とは?

プロダクトマネージャにはどういった過程でなったのか、研究職だったキャリアからの転換のお話や、プロダクトマネージャとしての原点となった体験を中心にお話いただきました。

3)プロダクトマネージャーが天職だと思えた理由と成長し続ける学びとは?&今後やりたいこと・大切にしていること

プロダクトマネージャーとはどんな存在でどんな役割なのか、どんなことを丹野さんが学んできたかなど伺っています。また人の成長に対する価値観や丹野さん自身が今度やりたいことをお話いただいています。

<ポイントとなる部分を簡単にご紹介>

行動ポイント1 :キャリアを振る「研究職をやめてダンスの道へ」

丹野さんは高校時代からなりたいと思っていた念願の研究職になりました。しかし実際就職してみると、自分の研究が世の中の役にたつのが10-20年後のスパンでマーケットから遠く感じてしまうなど自分が基礎研究があっていないことに気づきました。そして就職してからはじめたダンスにのめり込み、研究職を退職して、新たな道を歩みました。
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2)「計画的に目指した研究職」からの「プロダクトを作る楽しさ」を知った原体験とは?

行動ポイント2:仕事を膨らませる「自分が疑問に思った課題を自ら解決に動き、仕事を作った」

ダンスインストラクターだけでは食べていけず、コンビニの深夜バイトなど行っていました。それ以外に時給が高いバイトを探していた丹野さん。研究職出身をいかし、コールセンターでテクニカルサポートとしてアルバイトで働きはじめました。職場は実際に働いてみると日々アップデートされる情報がすべて紙媒体で、分厚いファイルを持ち、毎日紙で渡される状況でした。丹野さんは職場の乱雑な情報交換方法に疑問をもち、Webベースでアップデートされる情報を交換できないかを考えます。そしてその職場でアルバイトの仕事範囲をこえて行動に移しました。許可をもらってWebベースの情報共有の仕組みをつくるに必要なソフトをダウンロードして、自らプログラミングしてソフトを作り、現場に導入しました。するとみんなに感謝され、プロダクトをつくる楽しさを知ります。次に着目したのはシフト管理。300人のオペレーターが勤務希望日を紙で提出し、それをすべてエクセルに落とし、必要人数と比較して再度調整していた状況で。よってこちらもWebで勤務希望集計され、各日の状況がわかりようにしました。するとそうしているうちにコールセンター業務からシステム開発がメイン業務になり、正社員になっていきました。
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2)「計画的に目指した研究職」からの「プロダクトを作る楽しさ」を知った原体験とは?

行動ポイント3:布石を打つ

コールセンターの会社でSNS導入したことをブログに書いたり、同じように社内SNS導入して情報共有している会社を集めた研究発表会をやっていました。そこで声をかけてもらったのがサイボウズ株式会社でした。さらにプロダクト開発の幅を広げたいとおもっていた丹野さんは、サイボウズの風土にも惹かれ転職しました。
次はサイボウズ株式会社が行なっていた「サイボウズ式」というオウンドメディアを読んで、興味を持ってくださった株式会社ビズリーチの方から共通の知り合いを通して連絡が届きます。そのときは自分の手がけたプロダクトを成長させたいとおもっていた丹野さんは転職の意思がありませんでした。けれども週1でアドバイザーとして入ることになり、一緒に仕事をするうちに一緒にやりたいという思いや、必ずしもプロダクトの生みの親が成長に携わる必要がないことを知り、転職を決意します。こうして2度の転職を発信したことによってチャンスを掴んでいます。
また現在もプロダクトマネージャーカンファレンスを実施したり、PM向けに1on1を実施するなど、多くの人を巻き込み、知り合う機会を作っています。

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1)「発信する」楽しさが作った転職をきっかけ

行動ポイント4:キャリアを一歩進める行動

プロダクトマネージャーとしてより成長するために常に学んでいます。社外で講座を受けたり、独学で学ぶなど、今の自分に足りないと思うことを常に補っています。
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3)プロダクトマネージャーが天職だと思えた理由と成長し続ける学びとは?&今後やりたいこと・大切にしていること

そのほかポイント:知っている職業になるとは限らない

丹野さんはプロダクトを作る喜びをコールセンターの会社にて味わいます。けれども自分の専門性はエンジニアでもないし、マーケターでもないし、自分は○○であると表現できずに結構悩んでいました。サイボウズに転職してはじめて自分の名刺にプロダクトマネージャーとついて、自分がやってきたことに役割名があることを知ります。自分のアイデンティティが生まれ、目の前がひらけました。
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1)「発信する」楽しさが作った転職をきっかけ

丹野さんのキャリアポイントをまとめると以下となります。
・次のキャリアにいく前に移行期間を作り、検証している
・ずっと憧れていた研究職に固執せずに一旦手放すことができた。
・自分の持っているスキルを活用していった
・アルバイトの仕事範囲を超えて、課題を見つけて自分の仕事を広げていった
・発信することで偶発的な出会いや機会を作っていった

※キャリアを切り抜く人の行動・発想パターンは本「キャリアショック」(著:高橋俊介/ソフトバンク文庫)のパターンをもとにインタビュー内容を要約しております。

インタビュー編集後記

研究職からダンス時代を経て、プロダクトマネージャーになったことはインタビューする自分にあっていないと気づいても今までの努力を無駄にしたくないと思ったり、辞めることにリスクを感じて変わることができないケースは多いのではないかなと思います。けれども丹野さんは大きくキャリアを振る行動をとっています。この事実だけ聞くとその後どうなったかわからなければ反対する人も多いでしょう。しかしちょっと違うなと思いつつ、そのまま続けていると仕事だけでなく、住む場所や仕事以外の時間の過ごし方もずっと変わらないままとなってしまうこともありますね。
ご本人のエピソードのなかには詳しく触れられていませんが、退職前に仕事をしながらダンスをしており、重複期間があります。移行期間でダンスである程度いけそう、そっちの世界にいくほうが自分が幸せだという彼の中で漠然とした確信が生まれていたのかもしれません。もし読者の中に今の状況に疑問がよぎる方がいらっしゃったら、まずは他のことを並行してスタートし、自分に合うか見極めてからキャリアチェンジするのも1つの手段としてあるかもしれません。
またその後、コールセンターのテクニカルサポートとしてアルバイトされたときの仕事を広げていくエピソードもおもしろいですね。アルバイトとして言われた業務にとりかかるだけでなく、現場の状況をみて課題を見つけ、自分にできることを行動しています。自分で仕事を広げていくことで、任される仕事や雇用形態まで変わっていっていますね。
その後、ブログをきっかけに転職につながる人脈、機会を得ていきます。丹野さんは転職目的ではなく、純粋に発信したい思いや仕事のひとつとしてブログを書いていたと思います。発信することやイベントを行うことになって第三者の目に触れて結果的に縁につながっています。みつけてもらえたことで自分のやりたかったことによりつなげていますね。転職エージェント経路とは違う別の転職のありかたかなと思います。
最後に自分がやっていたことがプロダクトマネージャーという役割だったことをサイボウズに入って知った丹野さん。それまでは役割が定義できず悩んでいました。今後自分で動いていくと役割名はわからないけれど大事な役割が生まれていくのではないかなと思います。私自身も最初の就職はWEBディレクターだったのですが、就職するまで自分のやりたいことを言語化することができなかった経験がありました。いろんな技術が進み、働き方も変わっていくなかで既存の職業名だけがすべてではないことを改めて感じさせますね。