会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った(川口さんキャリアインタビュー)

「社内外の信頼貯金と先行投資としての勉強がつなぐ頼れるアジャイルコーチへ」
今回はアジャイルコーチとしてご活躍されている川口恭伸さんのインタビューをお届けいたします。
※本インタビュー記事は以下のイベントにて話された内容をベースに作成したものです。所属は2018/05/15現在のものです。

<川口 恭伸さんのプロフィール>
楽天株式会社 エデュケーションビジネス開発グループ 一般社団法人スクラムギャザリング東京実行委員会 代表理事
株式会社でアジャイルコーチとして、よりうまくやりたいチームの相談を受けたりコーチに行ったり研修を提供する仕事をしてきましたが、新たに新サービス開発の担当として社内外の皆さんのお役に立つべくがんばることになりました。
Rakuten TechnologyConference 実行委員、Regional Scrum Gathering Tokyo 実行委員、DevOpsDays Tokyo実行委員をしています。共訳書に「Fearless Change」(丸善出版)「Software in 30 Days」(アスキー・メディアワークス)、「ジョイ・インク」(翔泳社)、監訳書に「ユーザーストーリーマッピング」(オライリー・ジャパン)があります。
<XP、スクラム、アジャイルとは>
いずれも開発手法のことです。従来はウォーターフォールという開発手法でリリース(サービス開始日)が決まっていて、そのリリース日に向けてサービスを設計し、開発し、テストをしてリリースするという流れのスケジュールが決めて進めていく手法でした。しかしながら昨今目まぐるしく世の中が変わるようになったなかで、人々のニーズ変化が激しいこと、そして改善しながらサービス提供していくほうが効率的であるという考えなどからアジャイル開発という手法が生まれます。一気にリリースするのではなく必要最低限の機能をリリースし、その後改善を繰り返してリリースしていく手法です。XP、スクラムはアジャイル手法のひとつでどのようにチームで開発を進めていくかについて触れたものです。

<記事一覧>
1)会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った
2)社外勉強会、大規模イベント、本出版実現は「社外」信頼貯金が鍵だった
3)先行投資としての勉強があるからこそ次のことができる
4)川口さんの価値観と今後について

1)会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った

社内での信頼貯金がたまってやりたいことができるようになった
川口さんといえばアジャイル業界の方というイメージですが、アジャイルにはどのようなきっかけで出会ったのでしょう。

オブジェクト指向、デザインパターンなどの開発手法は色々見ていました。ケントベックの「XPエクストリーム・プログラミング入門ーソフトウェア開発の究極の手法」が出て読みました。でも当時した会社で出来るイメージが湧きませんでした。当時自分たちが直接プログラミングをせず、開発委託している会社などのパートナーさんにディレクションして書いてもらうスタイルでした。ソースを納品してもらい、テストは自分達でやる形。また別にマーケティング部門もあったので、マーケティング関連はそちらで、営業担当からの意見書など作成していました。マーケティング部門がユーザーからの意見集約してて、それを元にプロダクトの開発部門(所属していた部署)作っていました。その状況下でテスト駆動開発(TDD)を無理矢理やってもミスフィットだなと思い、だからといって体制を変えるほど僕に力はありませんでした。

そこからそのスクラムを行うきかっけはどのように生まれましたでしょうか?

しばらくはそのまま所属し、2007、8年ごろまでの間に技術の変遷があり、そういった技術面には関わっていました。そのタイミングで再度プロセス面にも取り組みだしました。例えばWiki(Web上で自由に文章を書き換えができる環境)の登場で情報共有したり、サブバージョン(更新履歴を残せる)が2005,6年ぐらいに流行ってきて、みんなでソースコードをみんなで見るなど共有するようになったり、リリースの時にテストをしやすくするなどしていました。
2008年に中途2人がXP祭り(当時だとオブジェクト倶楽部)に行った事があると聞きました。そこで先輩と4人ぐらいでXP祭り初めて行ったんですね。この時に平鍋さん達がトロントのアジャイルカンファレンスのセッションをいくつかやっていました。Gordon Pask Award 2008を平鍋さんが受賞されたのもあって。その頃スクラムがアメリカでだいぶ流行っていると知りました。スクラムの研修で食える人もいるほどに。
それで興味をもって調べたら野中先生がスクラムの元の話であり、後スクラム自体はプロダクトマネージメントの手法今の自分の現場に導入しやすい印象をもちました。「プロダクトバックログ」は優先度付けという形で似たものをやっていたなど、スクラムであればプロダクトマネージメントという括りでやれそうで、今やってる事とあんま変わずにやれそうに思えました。

また同じ年のデブサミに同じように中途採用の人からの情報で僕は初めて行ったんですよ。アジャイル開発を2001年からやっていた関将俊さんっていう大尊敬する栃木のケント・ベックといわれる人のセッションに行きました。そのときに大事なのは「信頼貯金」だと教えてもらって。だから新しい事をやろうと思ったらそれまでの社内の実績みたいな物が大事で、「お前だったら一定期間、新しい事やりたいならやってもいいよ」言ってもらえることが大事と。
社内で6年ぐらい居て、自分の「信頼貯金」わりと貯まってるな」と思って、「スクラムでやったらいいですよ」って言ってみました。そうしたらわりとみんなはまってくれて。

そんなとき、ちょうど社内で解決できない課題を持ってる人と知り合いました。「何か困ったらとりあえず川口に相談しとけ」みたいな感じが社内でできていて、他の開発部門に断られて、たぶん愚痴を言いに来たんでしょうね。「川口君こんな話があってさ」、そんな友達でもない先輩の人が来たんですよ。「こんな新しい案件があってこういうのやりたいと思うんだけど、開発部門がなんか受けてくれないんだよね」と。「でもそれスクラムでやったらできそうな感じします」、「えっそんな事できんの?」みたいな流れになって、そこから案件が生まれました。

スクラムならできそうに思ったその案件のことを聞かせてください。

僕がスクラムでやりたかったんで、「スクラムだったらできるのでは」と適当に言ってしまいました。
その案件は曖昧なものでした。なぜ開発部門が受けいれないのかというと、ゴールが見えず、何がしたいかわからず、もう少し詳しく教えてほしかったんでしょうね。
実際に彼の中ではゴールはあったけど、関係者が何をすべきかわからなくて、複雑だったために何ヶ所も話を通す必要がありました。例えば開発者サイドからするとサーバーの上では何を処理し、変えないといけないのか。後は何を無視していいのかみたいな話まで噛み砕かないとなかなか話を聞いてもらえない。そこまでシステム要件ができていませんでした。
ただ、ステークホルダーが元々昔僕が居た部門だったので、彼らがやりたいこと、価値感、できないことなどがわかっていた。また中間の他部署に対してもヒヤリングや自分の知見を通して技術的にダメなところ、足りないところ、確認したほうがいいところが見えそうでした。なので、スクラムでプロトタイピングすることを提案したんですね。まあ単にやりたかったんですけど。

実際にどんな風なサービスをどのようにスクラムって初めていきましたか?

端的にいうと、いた会社は株式市場ニュースなどを配信する会社でした。日経のフラッシュニュースが流れると株価が大きく動くから、ニュースと株価は関連性が強く、すごい大事です。
そのニュース情報に画像を出す案件だったんですね。今なら当たり前にWebとかで写真付きニュースが出ますが、その時の当時の端末ってアプリにはシステム上の制限で出てなかったんです。
けれども僕がWeb担当でリアルタイムで更新させる仕組みを作っていました。なので、URLのタグを入れて、後はクライアント側で解析して、画像を別のWebサイトに登録してデータを取得するところまでありました。
あとは取得できるようにすればいいと考えたのです。どうやったらできるか、何を無視したらいいか会話していくなど信頼貯金と実績と知り合いネットワークがあったので、関係者に聞いたらわかっていきました。
つきつめると、単にWeb系のシステムが1個あれば全部終わりそうで、そうであればそれほどコストもかかんないし、画像出すだけであればできそうだと判断しました。
おそらく当時にWebがそこそこわかってて、処理がわかる人があまりおらず、実現できるかどうかわからなかったんでしょうね。なので上層部含めたミーティングでも「川口が言うなら」とすぐ許可がおり、実現できました。

「職場の知識」と「自分の知識」を組み合わせて困りごと解決し、信頼貯金をためた

スクラムを導入するにあたって、「信頼貯金」というキーワードが度々でてきました。なにを意識して信頼の貯金をどんな風に積み上げていかれたのでしょうか?

基本的には頼まれごとに答えていました。最初入った部門があんまりITが強くない部門で、情報を扱う部門でした。だから効率化の芽がいくらでもあるんですよ。僕しか出来ない仕事が入社1年目からたくさんある状況でした。

入力だったり作業が多いとこだったから、知見が逆にいきやすかったところがあったということでしょうか?

入社1年目に本家に完全移行させるプロジェクトの年でした。そうなると入力システムを全部変える必要があり、どうやって移行するのか固まりました。システム部門が「オラクルとExcel組み合わせてやります」と提案してて、要は数式とExcelマクロたくさん書く必要がでたのですが、「何か川口にできる?」みたいな感じになって、「俺ならできるんじゃないですか」みたいな感じで淡々と百何十個ぐらいExcelを作る作業をしたのがきっかけで社内フリーランスみたいな立ち位置になりました。

そうなると結構細かいちょっとした困り事を解決していたのでしょうか?

そうですね。結局僕のやる仕事はみんなの困り事なんですよ。誰かが困ってるから僕のとこに相談が来て、上司もだいたい僕を放置なんですよ。上司自身も困り事持って来ていたので。僕1年目に夜10時ぐらいまで残業していたときに本部長に「お前何やってるんだ?」って言われたんですよ。「いや、しがらみの仕事してます」と答えてて。頼まれたからやってあげないと困るみたいな事をしがらみと表現したんですね。

そのくらい責任感というか。

責任感というより頼まれて返すとうれしがられるし、実際会社としてもすごい人材コストが下がるので、僕が知ってるレベルのITで解決できればやっていました。例えば当時だとメールが届くとそれを自動返信しつつで、Excelが添付されてるので特定のExcelに貼り付け直してそのままデータ送信するといったものを作ってました。

自分がやりたい事をやるというよりは誰かが本当に困ってそれが解決できそうならやっていったということでしょうか?

そうですね。僕がやることで人手が減って改善されるならいいなと。

また人脈の築きかたについても伺いたいのですが、どんなふうに築いていかれたのでしょうか?

色んな人の困りごとを解決していくとなんか勝手にグループを異動させるんですよ。僕を取り合いになったかどうか知らないんだけど、なんか1年ごとに異動させられてる自分がいて。僕別に希望してないんですけど。

もしかしたら川口さんが行ったらそこがちょっと業務改善していくことが噂になっていたり?

確実にそれはあったんだと思いますけど。

それでいろんなところに異動されたことにやって人脈かできていったのですね。

年1異動なので所詮3年半ぐらいはそんな感じで動いていました。そろそろ自分から異動したほうがいいかなと思ったタイミングに気になる募集がきました。会社で社長が代わって次世代事業開発室みたいなネーミングの部署が新設されました。社長が急に「社内公募する」って言い出して、「次世代とか俺が考えるだろう」とピンときて、だれにも相談せずにメール返しました。事後報告で上司に相談したら、そろそろ動いたほうがいいかもと言ってもらえて、行かせてもらえることなりました。でもいったものの、その上司に半年後に呼び戻されるんですけど。僕が抜けた穴は大きいみたいな話しでまた事業開発部の方に戻ってしまいましたが。。。

これで、1)会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った の記事は終了となります
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1)会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った

2)社外勉強会、大規模イベント、本出版実現は「社外」信頼貯金が鍵だった

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3)先行投資としての勉強があるからこそ次のことができる
4)川口さんの価値観と今後について