社外でのやりたいことも「信頼貯金」から実現(アジャイルコーチ 川口恭伸さんインタビュー)

「社内外の信頼貯金と先行投資としての勉強がつなぐ頼れるアジャイルコーチへ」
本記事はアジャイルコーチとしてご活躍されている川口恭伸さんのインタビューの2記事目をお送りいたします。※本インタビュー記事は以下のイベントにて話された内容をベースに作成したものです。所属は2018/05/15現在のものです。

<記事一覧>
1)会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った
2)社外勉強会、大規模イベント、本出版実現は「社外」信頼貯金が鍵だった
3)先行投資としての勉強があるからこそ次のことができる
4)川口さんの価値観と今後について

2)社外勉強会、大規模イベント、本出版には「社外」信頼貯金が鍵だった。

社内で知られていないことを、まずは世の中で当たり前の存在にするために社外で勉強会をはじめた
今関わってらっしゃるイベントの運営などはどういうきっかけでやりだしたのでしょうか?

スクラムを始める時に「勉強会を始めたい」という声をもらい、「せっかくやるんだったらスクラムのノウハウを集めた勉強会を外部でやろう」と話が発展しました。それまでは社内でしか勉強会はやっていませんでした。場所や実績がないので、総務に相談したり、所属の部長と話しましたが、1回目は公民館借りてやりました。2回目は話が通せ、社内で実施しました。

社内でスクラムを広めるというよりは外に向けて実施されたんですね。

社内でスクラムをやりやすいするためにはスクラムが当たり前になってくれないとやりずらいと思いました。
スクラムの認定セミナーが2年前ともう1回あった程度で全然みんなスクラム知らない時期でした。当然社内でも皆知らない状況でした。アジャイルはなんとなく聞いた事があるひとがたまにいても、やった事がある人は1人もいないのが社内の状態でした。
あとで聞くと著名なslerは社内プロジェクトでアジャイルやっていたとわかりましたが、おおっぴらにずっとやってる会社は当時ありませんでした。

スクラムはどんな風に行っていったのでしょうか。

社員を増やすのをお願いしたものの、結局社員もあんまゲットできませんでした。しかしながら信頼貯金のたまものですが、「協力会社さんとやりましょう」って話になって、セントラルソフトの林さんと一緒にやることきなりました。
林さんコーチとして招いたうえで、追加でセントラルソフトの若者何人か出してもらうかたちで初の協力会社みたいな形で始めました。協力会社さんだから数百万単位で月コストがかかっていました。けれどもまずは勉強からはじめたんですね。1ヶ月は勉強に費やすって決めて、プロダクションコードを1行も書かないっていう事をやって、みんなで勉強しながら始めました。1ヶ月後に始めてみると結構楽しいしさっさとできた。まあできそうな事をやってるので当然できるんですけど、人も育つし、これはいいねみたいな感じでやってましたね。

みんなでとおっしゃってましたけど、最初はもちろん誘われてスクラム知ったっていうのがあると思うんですけど、なぜいろんな人を巻き込んでやってたりしたんですか?

XP祭りでスクラム知って、XP祭りの3ヶ月後の12月ぐらい予算を取りにいったらとれました。
やるからには知らずに始めるの嫌なんで、経験者にお願いしようかなって。
ちょうどXP祭りで知り合った林さんと飲み会で再会したときに来てくれないか相談しました。林さんはその認定スクラムマスターの第1回を受けてる人で、当時まだフルスクラムをやっていなかったこともあり、引き受けてくださいました。

スクラムの推進やイベント運営を支えたのは「社内」だけでなく「社外」での信頼貯金のおかげだった
記念すべきはじめてのスクラムはそういう形でスタートしましたが、そこからスクラムの人というかアジャイルコーチとして名前が知れ渡るまでに結構いろんな事あったと思います。例えば代表になるまでとか、実行委員になるまでとか、どんなふうに活動されていたのでしょうか?

社外向けに始めた勉強会(すくすくスクラム)はその会社で毎月やってて、コミュニティも温まってきていました。海外でアジャイルカンファレンスは1000人集まるほど盛り上がっており、アジャイルカンファレンスよりも規模はまだ小さいけれどスクラムギャザリングというイベントも盛り上がっていました。もっと前にお日本でもやりたい話がでていたようですが、話が進めなかったようで周りにまわって僕のところに問い合わせがきたので、じゃあやろうって話になりました。

どんなふうに進めていったのでしょうか。

スクラム開発をつくったジェフ・サザーランドと、その元論文となっている野中郁次郎先生が会ったことがなく、そもそも野中郁次郎先生は平鍋さんがアジャイルジャパンへ招待する電話をしたときまで知らなかったことがわかりました。そこでアジャイルジャパンでふたりをひきあわせようとしましたが、売れっ子だったジェフ・サザーランド側の予定があわず、2人の予定をあわせて翌年の2011年の1月イノベーションスプリントにて引き合わせるイベントにしました。

※アジャイル開発手法「スクラム」は、一橋大学の野中郁次郎氏と竹内弘高氏による1986年の論文「The New New Product Development Game」などを基に、1990年代半ばにジェフ・サザーランド(Jeff Sutherland)氏らが提唱
実は最初っから代表として希望?

イノベーションスプリントはなんかよくわかんないですけど僕が実行委員長みたいな話になりました。そこでジェフ・サザーランドの来日と一緒にスクラムアライアンス事務局長もくっついて日本に視察に来てて、スクラムギャザリングやろうかなっていう話になって。そこからちょっと実行委員に声掛けしてスクラムギャザリングが始まりました。

はじめは対談のイベントだったものが、大きい規模のイベントになっていきましたが、何か思いみたいなのはあったのでしょうか。

特になくて、誰もやる人がいなかったんですね。

それだけの調整をするのは結構大変で、スクラムをはじめる過程と比べて大規模だなと思うのですが。

その前にイノベーション・スプリントというイベントを手がけていて、すでに実績がある人達が付いてたので、単に声掛けするだけでよかったんですね。

では声掛けできるぐらいにはいろんな方と知り合っていたということなのでしょうか。

そうですね。勉強会にしょっちゅう出るようになったので、勉強会カンファレンスというのもありました。そこで楽天に今もいる吉岡弘隆さんと知り合って、一緒にやったのが勉強会の開催側に回る最初でした。吉岡さん知ってたんで楽天の1000人ぐらいの会場を借りれないか相談したら承諾してくれました。でも後々聞いてみると平日にそこで昼間からイベントするのははじめてで、社内調整はえらい大変事だったはずなんですけど、それでやっていただいたっていう。

そういう声掛けができたのは、それなりに関係性ができて声掛けれる?

そうですね。なんかその前に何か一緒にやってるとか、貸し借りじゃないですけど何か頼まれ事やってるとか。

ある意味それも信頼貯金みたいな形ですかね?

完全に信頼貯金ですよね。後はやる事自体に意味があることを話したり、直接知らなかったら知り合いのつてでお願いしてました。辿って辿ってみたいな感じでやりました。

いろいろイベントやり、代表もされていると何か変化はありましたか?

「そういうのやるの大変だと思うんですけど」って言われますが、できる事を淡々に積み上げてるだけなんですね。なのでやれない事はごめんなさいと断るわけです。よって実は大きなチャレンジしてないです。やった事があってこれとこれ足し算するとこの辺いけるんで、じゃあ大丈夫かなと。全く経験がなく想像できなかったらやらないだろうと思います。例えばだからスクラムの1個目の案件とかも全部そうで、部分要素はやった事ある。その組み合わせで、組み合わせはやった事ないみたいな。そこだけ潰せばなんとかなるかなって。あとは100人ぐらいの規模はやってるから300人規模ならやったことないのは〇〇でできそうか判断する感じですね。

あとは「イベントってどうやったらいいですか?」みたいな話を聞かれるようになりましたね。特に楽天テクノロジーカンファレンスをやるようになってから増えました。「楽天さんみたいイベントどうやってやるんですか?うちのイベントもお願いしたい」みたいな。それはやらないけどな、と思ってますが。

協力する基準やアドバイスする基準など川口さんのなかで線引きあるのでしょうか?

基本的にアドバイスしかしないですね。他社のイベントはアドバイスしかできないので。いつから準備したほうがいいか、人を呼ぶときどのくらい前から交渉したかなど今までやってきたそういうノウハウを聞かれる事が多くはなりましたね。基本的に僕が思い付く限り、やった方がいい事やどのようにやったかなど全部お教えします。

なかなか実現しなかった本の翻訳出版。本の編集者と知り合い、冒頭を訳すなどして粘り強く本の良さを伝えて出版にたどり着いた。

ーはじめて翻訳に関わった「FEARLESS CHANGE」ー

翻訳本出版はどういったきっかけでやることになったのでしょうか。

最初に手がけたのが「FEARLESS CHANGE」っていう本でした。知った時点でもう出版から6,7年経っていました。FEARLESS CHANGEの読書会を僕らはやってて、英語の本をそのまま読む機会がありました。著者のリンダ・ライジングの来日に合わせて翻訳本をだそうと動きました。しかし3ヶ月後に迫っており企画書を3,4社に送りましたが難しかった。しばらくして「ユーザーエクスペリエンスのストーリーテリング」の本レビューを依頼され、少し手伝ったときに本の編集者と知り合うことができました。一回は流されたのですが、実際企画通ったら半年で全部訳すぐらいのスピードだとわかったので、少しずつ訳し始めてみることに。3章ぐらいまで訳したところで再度編集者に送ってみました。そうすると内容がいいと少し反応があったので、再度4章訳して渡してみました。そうすると担当者がいい本なので、社内の企画会議に通してみると話してくれ、しばらくして通り、勉強会仲間集めて、訳そうということになりました。

断られている状況でも1章から訳しだしている背景には何か動かされるものはその本あったのでしょうか?訳す何かあったんですか?


翻訳本が出なかったとしても1章、2章、3章はテキストは勉強会メンバーの物だし、読んでおきたい
なと思いました。

純粋に興味があって取り組んだということですね。

出版社からすると僕ら未訳の訳者で実績がゼロなんで、当然訳のクオリティ気になるだろうなとも思ったのです。だから直せばなんとかなるぐらいの訳なのか、もしくはやっとけば最後まで約束した期限通りに訳してくれるのか、担当者からするとわかんない不安だらけですよね。担当の人も社内通せないだろうし。なのでいくつか訳すのはマストかなって。それ以前に自分達のために訳そうかなという思いはあり、頭からちょっと訳し始めたんですね。

他にも本関わってらっしゃってますが、その後の本はどんな過程で翻訳本を出版されたのでしょうか?

他の本はだいたいお誘いをいただく感じですね。「ユーザーストーリーマッピング」は「ジェフ・パットンが本出すんだよ」と研修を日本でやった時にちょうどアメリカのオライリーと交渉してて、最後の契約が通るか通らないかの段階で、ゲラくれたんですよ。ちょうどオライリーの編集の方が訳本をだすことを決め、訳者を探してる時に僕を推薦してくださる方がいて話が来ました。頭からちょっと1章訳して出したんですけど、すごい遅いのと訳のクオリティがあんま良くなかったんで、「これはプロの翻訳者に頼もうと思います」って向こうからきっぱり言われて、「それだと僕も助かります、じゃあ僕監訳で」みたいなのでレビューしたって感じです。

これで、2)社外勉強会、大規模イベント、本出版実現は「社外」信頼貯金が鍵だった の記事は終了となります
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1)会社で必要な知識と自分のスキルを組み合わせてみんなの困りごとを解決し、「社内」の信頼貯金を作った

2)社外勉強会、大規模イベント、本出版実現は「社外」信頼貯金が鍵だった
3)先行投資としての勉強があるからこそ次のことができる
以下は近日公開!お楽しみに。
4)川口さんの価値観と今後について