計画的に目指した研究職から「プロダクトをつくる楽しさ」を知った原体験とは?


今回のキャリアインタビューは「プロダクトマネージャーの丹野さん」です。
※本記事はプロダクトオーナー祭り2018 ~世界を創るのは俺たちだ!~ 2018/02/17(土) のひとつのセッション内で行われたインタビュー内容を成形し、まとめたものとなります。

<記事一覧>
本インタビュー記事は以下の3つで構成いたします。
インタビューのポイントと編集後記
1)「発信する」楽しさが作った転職をきっかけ
2)「計画的に目指した研究職」からの「プロダクトを作る楽しさ」を知った原体験とは?
プロダクトマネージャにはどういった過程でなったのか、研究職だったキャリアからの転換のお話や、プロダクトマネージャとしての原点となった体験を中心にお話いただきました。
3)プロダクトマネージャーが天職だと思えた理由と成長し続ける学びとは?&今後やりたいこと・大切にしていること

2)「計画的に目指した研究職」からの「プロダクトを作る楽しさ」を知った原体験とは?
今はPMとして活躍されている丹野さんですが、PMに出会うまでにいろんな経験をされています。どのような過程を経て今に至っているのか。少し前に遡って、研究職、ダンスインストラクター、コールセンターで働く過程までの話について伺っていきます。


<丹野さんの人生モチベーショングラフ >

研究職までは計画通りの人生だった。でも気づいたらダンスへの道を歩み、その後のアルバイト先でプロダクトを作る楽しさを知ってプロダクトマネージャーという天職に出会う。
研究職のあとコールセンターでアルバイトとして働くことになった経緯について教えてください。

NTTを退職してダンサーになりたいと思いました。ダンススタジオに通いながらストリートダンスを学び、仲間とチームを組んでダンスショーに出たりしていました。茶髪でちょっとチャラい感じの27歳。

 

丹野さんが踊っていたころの写真披露
ダンスインストラクターとしてスポーツクラブで週4回ぐらいレッスンを担当していました。でもインストラクターの仕事だけだと全然食べてけないのでいろいろバイトをしていました。そのバイト先の1つが先程お話ししたコールセンターでした。昼間はコールセンターで働き、夜は踊るみたいな生活をしていましたね。

その前はコンビニなどで割のいい深夜のバイトをしてましたね。もう時効だと思うので言いますが、売れ残ったお弁当で食費が少し浮く(笑)。でも深夜に働く生活がきつくて辞めたいと思ったときに、新聞の折り込みチラシにコールセンターのオープニングスタッフ募集の求人があったんです。昼間の仕事なのに深夜のコンビニバイトよりも時給が200円も高い。昼間の仕事なのになんておいしい仕事なんだ、と思って迷わず応募しました。新聞はたまたま販売店の人が自宅に来て「まずは無料でいいので1ヶ月間だけ新聞を取ってくれませんか?」って言われて一時的にとっていただけなので、その販売員の方が来てなかったら僕の人生はまた違ったかもしれません。

そこから社会復帰していった感じですね。自分にはダンスよりプロダクト作る方が自分は向いてるんだな、と。NTT時代の同期に「やっぱりダンス辞めてプロダクト開発の仕事しようと思うんだけど」って言ったら、「そりゃそうだよね」って言われました(笑)。

コールセンターでプロダクトを作った経験はダンスとはどんな点でおもしろみが違ったのでしょうか。

ダンスはダンスでおもしろかったのですが実力が伸び悩んでましたし、人前で踊るのが苦手だったんです。他にもっとすごく上手い人がたくさんいましたし、結局才能がなかったんですね。プロダクト開発のほうが得意で、自然とその道に進んでいった感じですね。
やっぱり自分が作るもので物事が変わっていく手ごたえを当時とても感じていたので、どんどんおもしろくてのめり込んでいきました。200人300人の人達の動きが自分が作ったものによって大きく変わって感謝される。これってすごい快感ですね。

NTTをスパッと辞めてダンスにいかれたときはどんな気持ちだったのでしょうか。

ロボットの研究を大学でしていました。ロボットの研究できそうで、学校推薦で入れたのがNTTでした。念願叶ってNTTの研究所に配属されたのは良かったのですが、配属がすごく田舎の方だったんです。
なので若者向けの娯楽が少なく、スポーツクラブに行く事にしたんですね。そのスポーツクラブにダンスクラスがあって受けてみたらすごく楽しかった、というのがストリートダンスに出会ったきっかけですね。

ダンスがすごく面白くなっていく一方で、基礎研究は自分には向いてないんじゃないかと思い始めました。自分が研究した物が世の中に役に立つまで10年も20年もかかってしまう。実際に研究したものが世の中に役に立つかどうかわからないし、世の中で実際に何が求められるているかもよくわからない。マーケットからの距離をすごく遠く感じてたんですね。コツコツと基礎研究をするのが自分には向いてないんじゃないかという思いがどこかにあったのと、ダンスが楽しいっていうのがあって会社を辞めてしまいました。次を決めずというか、もうバイトしながら踊っていたいみたいな感じでしたね。本当に若気の至りですよね。

NTT研究所を辞めた時って周りの反応は?

「何を考えているの?」と驚かれましたね。

あんまり周りに言わずに決めちゃったんですか?

誰にも相談せずに決めてしまいました。親にも事後報告だったので、「会社を辞めた」と言ったら凄く驚いていました。今思えばかなりと親不孝だったと思います。

やっぱり若さだから行けたって感じですか?何かやっぱり悩んでたりとか、何かあったりとかしたんですか?

特に悩みや不安はありませんでした。NTT時代は地方に住んでいたので、金曜日の夜はバスに乗って東京まで行き、土日はダンスレッスンを受けて月曜日の朝に戻って出勤するっていう生活をしていました。どっぷりはまってたんですね。


<丹野さんの人生モチベーショングラフ >

元々その研究職やりたかったのはもっとずっと前からでしょうか?

高校の頃からロボット研究したいと思って大学を選び、ロボット研究できる会社を選び、計画的に目標に向かって努力する形で歩んできました。

ある意味22歳までは予定通りの人生だったんですが、NTTをやめてからはもう本当に無計画な人生ですね。
ちょっとしたきっかけで仕事が変わる、というのがNTT退職以降の生き方ですね。それこそ新聞の折り込みチラシをきっかけにバイトを見つけるとか、ブログを書いてそれをきっかけに声をかけられるとか。自分から機会を取りに行くっていうよりも、たまたま機会が訪れてそれを受け入れるみたいな感じです。

でも元々ITの知識があったらからこそコールセンターのシステム開発ができたのでしょうか?

今から考えると全部繋がってる感じがしますね。
大学を出て大企業に入ってたった数年でやめてしまうって結構な勢いが必要だったと思うんです。だからダンスっていう自分の興味をパワーにしてレールに沿った人生から抜け出たのかな、と今振り返えると思います。

コールセンターで働いていた時代は具体的にどんなプロダクトをつくられていていたのでしょうか。

最初は会社にアルバイトで入り、電話オペレーターとして電話応対をしてたんですね。ECサイトのテクニカルサポートとして入り、すごく大きなコールセンター200席あって、働いてる方も300人ぐらいいるような環境でした。
設立して1年くらいのベンチャー企業だったので、情報共有や業務を管理するためのITの仕組みが整備されてなかったんですね。200人300人いるオペレーターさんに対して、毎日部紙ベースで情報共有されていました。各自が分厚いファイルで毎日渡される紙を管理している状況で、情報共有が効率的にできていなかった。これはまずいなと思って、Webベースの情報共有の仕組みを作ることにしたんです。許可をもらって開発ツールをダウンロードして、たぶん言語はPerlだった気がするんですけど、情報共有システムを自作して導入したんです。スーパーバイザーがその日のアップデートをブラウザを使って入力すると全オペレーターの画面に反映される、というWebベースの簡単なグループウェアです。このシステムの反応がすごくよかったんです。大量に紙で印刷して配らなくていいし、分厚いファイルを持ち歩かなくていい。情報共有が徹底されて、古い情報を案内してしまうこともなくなる。みんなハッピーになったと。
これに気をよくして他にも何か作ってやろうと思いまして、その次はシフト管理のシステム化に着手しました。それまではシフト管理は翌月の勤務希望日を300人のオペレーターさんが紙に書いて提出していました。スーパーバイザーが全オペレーターの希望シフトをExcelに手入力して、毎日必要な人数が足りてるか、あるいは逆に多くないか集計するんです。この日に出勤できませんかとか、この日は休んでくれませんか、と個別に調整して、ようやく次の月のシフトが決まるみたいな仕組みだったんです。これがもう死ぬほど大変で、スーパーバイザーの一人が一ヶ月間シフト管理の仕事だけをしてるみたいな状況でした。これもなんとかしたいなと思って全部Webで完結する仕組みにしました。オペレーター自身がブラウザで希望シフトを入力すると自動集計されて、各時間帯の人の過不足が可視化さるようにしました。なので、「この日は人が多いから代わりに少ない日に変更するね」といった自発的なシフト調整が自然と起こるようになったんですね。これも情報共有ツールを作った時と同じようにすごく反応がよくて、みなさん喜んでもらえました。スーパーバイザーはシフト管理に時間をとられなくなって、顧客応対のための本来業務に時間を避けるようになりました。
僕にとってはこの出来事がプロダクトで物事や人の動きを変化させる喜びを知った原体験です。ITのプロダクトで人の働き方が変わって、生産性や仕事の品質が向上するうのがすごく面白かった。こういう事をもっとやっていきたいとその時思いました。

初めから自発的に効率化し始めたのですか?

そうですね。特に頼まれたわけではなくて、こういう仕組みがあったら変わるんだろうな、変えていきたいなと思ったので作ったんです。僕は自分の仕事の範囲外であっても「こうなったらおもしろいんじゃないか」って思うとやってみたくなっちゃうんですよね。

その取り組みをしたあとは、何か変化はありましたか?

「あなたは電話対応はせずにシステム開発をしてください」と言われまして、時給もちょっと上がってそれに専念するって事になりました。このツールは社内だけで使うんじゃなくて外販できるんじゃないかみたいな話にも発展しまして、アルバイトから正社員になって仕事としてプロダクトを開発していましたね。

まさに最初は1人のオペレーターだったのに、そこから自分で仕事作っていっちゃったって事ですね。

ーそうですね。

これで、2)「計画的に目指した研究職」からの「プロダクトを作る楽しさ」を知った原体験とは?

続きの記事はこちら
インタビュー(3) プロダクトマネージャーが天職だと思えた理由と成長し続ける学びとは?