波乱万丈な社会人生活のなかでも身につけていった独学で学ぶ力。社内外問わず繋げていく人脈力を生かして転職し、最終的にはフリーランスへ。

今回のキャリアインタビューは、「ファシリテーター、企業研修に携わっている高柳謙さん」です。波乱万丈な会社員を経て、人からの紹介、お誘いを受けて転職するなかで、ある転職面接にて自分のファシリテーションスタイルが求められるものに答えるスタイルから自分のやりたいスタイルを見つけていきます。持ち前の人脈づくり力を生かしてフリーランスに転向していくキャリアを一緒にみていけたらなと思います。

<高柳 謙さんプロフィール>
企業研修内製化コンサルタント、企業顧問ファシリテーター、Management 3.0認定ファシリテーター
研修内製化のファシリテーターとして企業内での「研修」を知識の習得の場としてだけではなく、個人が、チームが、組織が活用できる研修になるように提案しています。企業の中では研修は現場がよくなるための関係性の再構築ができる場として、時には失敗できる場として機能していくことが大事だと考えています。 個と組織を包括して捉える中でManagement 3.0を学び、研修を組織を改善するアプローチとして活用しています。

本記事は、イベントで会話された内容を元にまとめたものとなります。

人生グラフを見ながらインタビューをおこないました。

 
1)フリーランスとしてファシリテーターになるまでの経緯

「組織への期待がなくなって外に学びを求めた。そこから人脈が生まれ、機会がもらえるようになって、フリーランスになっても大丈夫な状態が結果としてできあがった」
新卒ではどんな会社に入りましたか?

新卒入社時はかなり氷河期で、Windowsが流行り始め、パソコンの仕事で最先端の技術に触れたいなと思い、最初の会社はホームページの会社に企画として入りました。説明会で夢を語ってくれた上司のもとに入ったつもりが入社後、負債があって会社が危ない状態だと知りました。新卒後初仕事が事務所を閉鎖する仕事でした。働いているビルの売却方法や企業との契約解除、電話線から事務所閉めまで。内容は暗いですが、自分やったことがなく、調べてやっていくことは楽しかった。
その後いくつか会社を移りながら、デバッカーとして夜勤で体調不良気味になったり、給料未払い、事務所譲渡など転職する会社それぞれで経験しました。

本当にいろんな経験をされていますね。他には社会人時代どんなお仕事されていたのでしょうか。フリーランスになったきっかけとなった出来事は?

ある下請け会社で自治体の案件をやっていました。所属会社が案件から離れる度に4次請けから1次請けまで、もう少しその案件がやりたいと思って、信頼で登りつめました。
元の1次受けの会社に戻ったものの、大元までには行けず、ここにいる限りマネージャーっぽい仕事をしても永遠にサブリーダーといわれ、悩んでた時にgumiというソーシャルゲームの会社へ。そこの会社で初めて研修をする事になって。研修をやった後にまたソーシャルゲームが伸びて社員増えたものの、株だしたところで業績ダウンして希望退職者を募るタイミングでフリーランスになります。

人の誘いで何度か転職されていますが、転職をする上の基準や何か変化が自分の中であったりしましたか?

何か基本的に辞める時には会社から何かを言われて問題が起きてる時でした。タイミングよく誘いをうけ、基本乗っていました。誘ってくれた人を重視する形ですね。

企業生活で改めて得たことはなんでしょうか?

やって欲しいことが明確なかたちでいつも誘いを受けていたので、いった会社ごとに色々なことを任せてもらっていたことですね。教えられてできるようになった経験はほぼなく、

「君ができることを評価しているからやってほしい」という期待値でやっていて、自分のできることをやれることができたのはよかったですね。
フリーランスになる過程をもう少し教えていただけますか?

実は裏側では社会のコミュニティに出てたんですよ。事務所閉める経験や給料未払いなど経験し、会社という組織への期待がなくなっていました。

学ぶ場所を求めて社外のコミュニティに沢山出て、勉強したり登壇したり話すなどするうちに、研修の話もでてきていました。

フリーランスになった時も100人希望退職というタイミングもありましたが、

コミュニティの繋がりを持って仕事がもらえる状態になっていると判断したのでフリーランスになりました。

辞めたあと「ちょっと休もうかな」と思ったら、お誘いがきて仕事が来たのが最初のフリーランスになってからの仕事ですね。そこからは比較的ほぼコミュニティの繋がりからずっと仕事をもらってフリーランスとして仕事をこなしてきています。

ファシリテーション・研修の仕事をやるきっかけは、後輩を自分と同じ目に合わせたくないと思って動いたこと

人生グラフ再掲

ファシリテーションの仕事をやってみるきっかけや研修の支援とかやるきっかけも、この会社のどこかであったのでしょうか?

新入社員として入った会社が負債があるにも関わらず翌年の新卒を採用していました。そんな状態で研修もなかったので自分が見なきゃと思った。

この新卒2年目の俺が面倒見る経験が、人を育てることを今仕事にしているきっかけの1つとなりました。

自分が面倒みた子を連れて転職したり、自分で学べる状態になったら自分の役目が終
わったと思って、その後企業にひっぱられて自分だけ別のところにいくことも。

次は新規サービスを作ろうとする会社にジョインしました。しかし未経験でもいいから人手を確保している状況だったんですね。プログラム未経験者にとりあえず「3日で覚えるJavaの本」を渡したらたまたまその子が素養があってできるようになってしまいました。

普通は3日できる〜でそもそも普通は作れないのにそれ以降社長が勘違いしてしまって「高柳に面倒みさせればプログラムできるひとががいっぱいできるぞ」と思われてしまった。そうなるともう少しちゃんと教えないとなと自覚がめばえましたね。
面倒見ないといけないと思った理由はどんなものでしたか?
自分と同じ目にあわせたくはないって気持ちの方が強いから、早く転職できるとか一人前になるためのものを考えなきゃいけないと思いましたね。
今までは基本的にもらってその期待に応えるスタンスだった高柳さんが、人の面倒をみることについては主動的なのがおもしろいですね。

プログラムの本を渡しただけで成長してしまった彼が、恩があるといって自分を引っ張ってくれた。育った人達が返って来て、信頼してくれるのはすごいことだと思いました。

組織に諦めモードだったからこそ1人でどうにかできる人を育てたかった。

下請け会社にいたときは、基本お客様のとこにいて、帰社は1ヶ月に1回程度でした。。ほとんどいないために会社の中で用意されている研修を受けれなかったんですね。もちろんお客さんのところによく行っているからといって、他社の人間なのでお客さん側の研修も受講できない。そこの憤りがあって、

外のコミュニティに対しての研修、要は会社の中で学ぶ事ができないっていう状態に対して自分で学んだり、社外で勉強したものを社内に返して勉強会をやるっていう感じで、学ぶ物を作っていくっていうのはどんどんそこで生成して。
何回か転職ってされてて、最後退職希望がgumiで募らたときにもう一度転職ではなく、フリーランスを選んだ理由は?

最後にいた会社であるgumiでは「自分のやりたいと思ってる事」と、「上司が到達したいと思ってる事」と「組織がこうしたい事」との狭間で大変苦労しました。研修を例にすると企業の組織が行う研修は現場の人が欲しい研修ではないことが多く、嫌がられました。でも現場の受けたい研修を作っていくと、評価を受ける上司から全然進捗がないと言われ、大変でした。でも現場に欲しい物は実はあんまり役に立ってないケースも発生する。欲しい物をまずば与えていくとだんだん飽きてきて、本当に会社として組織として必要な物が出てきたりするんですよ。なのでフェーズの問題があって、組織が与えたい物と現場が欲しい物はただフェーズが合ってないだけで、順番に上っていくと本来欲しい物にたどり着くって気付いたんですね。

それぞれのニーズがバラバラっていうかずれてるように見えるけど、そこは最終的には合わせられるということなのでしょうか。
あくまでもフェーズが違ってるだけで、会社が求めてるのは幹部候補向けの研修で、現場は最初は仕事としてやりたい事をやるといったずれが起きています。現場で自分のチームが仕事できるようになると、今度は組織が全然ついてこないという課題が見えてきて、組織が求めるものと一致してくる。このギャップが自分の中には見えたんだけど、組織中で簡単に調整してズレを解消できる問題ではないと思ったんですね。現場と組織長両方に働きかけないといけないし、その前に上司という存在がいて、その上にもいるヒエラルキーの中では。

要は下から変えていければいいが、すごく時間はかかる。また上から下ろすほうが楽ですが、社長の興味をひいてトップから変えるのは難しいなとかんじた。

なぜ組織に次に行かなかったのかはそういう会社をまた1回見つける必要のは、ちょっと面倒くさくてやめました。

面倒だとしても転職するよりもフリーランスになる事の方がハードルを高く感じる人もいると思います。選択できたのはなぜでしょうか。

コミュニティ活動を続けていて、カンファレンスなどのイベントに依頼されて呼ばれていました。アジャイルジャパンというイベントに呼ばれたりとかして場を任される機会があった。

要は組織とは別に個人で評価されてる感覚があった。

なので仕事があるかどうかっていうところでいえば、あんまり心配はしてなかったですね。

バイネームで何かをお願いされる事が結構あったので、あまり企業か企業じゃないかは自分の中ではそんなになかった。
フリーランスになったとき、高柳さんの周りとして、親とか奥さんとか心配しなかったのかとか、そういう外部要因も含めて何か格闘とかって何かあったりしたんですか?

嫁は一度個人事業主の形をとったことがあったので、その時のイメージができ問題なかったけれど、

反対したのは自分の母親でした。

母親は「いい大学に行って、いい会社に行って」っていう考え方なので、「会社を辞めるってどういう事?」みたいなね。祖父が結構大きめの造船場の社長をやっていて、俺の親父が保険会社の支社長とかやってて。そこからずれるわけですね。

なので母親にはすごい反対されて。だけどほぼほぼ黙ってフリーランスになっちゃいましたけど。別に俺の人生だしって。

でもその後フリーランスになったってばれた後も「早く就職しなさい」ってずっと言ってて。

だからある程度の自分の要因がなくても家族に対する、父親は何も言わなかったけれど、特に母親との関係は結構あるのかもしれないなと思いました。向こうにとっては不安なんでしょうね。
やりたい研修が初仕事で舞い込んできた

そのあとのフリーランスの初仕事はどんなお仕事でしたか?

少し休もうかなと思っていたら、新卒の研修シーズンの4月に辞めたので、5月からの新卒研修に声をかけてもらいましした。しかもその研修が「詰め込み研修はもうやめたい」という方針で

「解答を教えない研修をしてくれ」という内容だった。自分のなかでぴったりだった。
もともと教えるが苦手であり、独学で自分自身も学んでいたので、もう教えるの嫌だった。自分が学ぶ姿勢があってもうまく成長できないエンジニアもずっとよくみていた。教育の機会も与えられない、自分から学ぼうというのも難しい、後できる人を教えても無理だっていうのもわかってきたなかで、自分で独学でやってきたからこそ、わからない人の気持ちがわかるんで、わからない人の気持ちでわからない人への必要な教育をやるにはどうしたらいいかっていうと考えるとあえて回答を教えない研修はやってみたかった。

依頼者とその後調整し、研修も1回させてもらって。2ヶ月後ぐらいからもう1ヶ月新卒を見てました。グループ研修でしかも解答教えなくて、でも教科書は決まっているっていう。でも教科書はあるし、後グループもあるし、その頃もうファシリテーションもそれなりの数をやって来ていたので、新卒って子達を見れば後はできるだろうと思ってやってみました。
だから不安になる前に仕事が来たので、偶然のタイミングですね。
この経験が「じゃあこれでいけるかな」という自信のきっかけを作り、会社で研修を作りたいや採用をどうにかしたいと思っているところの力になろうと。自分が何もわからないからこそお客さんと一緒に作っていくスタンスをずっとやってたので、そういうのが好きな人が営業として入ってくれて「こういう会社側の課題として持ってる」と、「コンサルトに上から言われるのはちょっと辛い」といった前に嫌な経験があり、一緒に作ってくれる人を募集してる会社があるという話を持ってきてくれて。

「1)フリーランスとしてファシリテーションになるまでの経緯」の記事はここまでになります。

続きはこちらにて

「2)ファシリテーションの原点と学び方」 「人見知り」がファシリテーションの原点 の記事へ